最近競技大会に結構出てまして。
先日最強戦予選に出てて残り2巡を凌げば決勝卓というところで横移動してしまい敗退、とか一発裏ドラなしの大会でオーラスハネマン条件2回満たして本戦出場、とかいいこととかダメな日だったこととか色々ありました。
それを踏まえて最近思ったのは試行回数が限られている勝負というのはやればやるほど難しくなり得るんじゃないか?ということです。
僕もこういう大会に出る前は経験値がないからボーダーポイントがどれくらい動くのか?条件を満たすためにゼンツだったり一切来ない人もいるだろうしそういう人を踏まえた打ち方もしないといけないんだろうなぁということは思っててそういう経験値を溜めていかないとなぁと思っていました。
そういう経験値って全然ないし徐々に溜めていけばいいな、と思ってたんですよ。でもどうかな?実際それを積み続けると逆に怖くなってしまうケースもあるような気がするんですよね。
麻雀の大会ってその会場で一番強かったとしてもなかなか勝つことが出来ないと思うんですよね。そりゃもう人知を超えて強ければあるのかもしれませんがそれは現実的じゃない。
ほとんどの人は大体負けます。そしてその「負けた」という経験を積み過ぎると思考が弱気に流れてしまいかねないんですよね。色んな不幸を経験するたびそれが印象に残り弱気になってしまったりあるいは勝ちの難しさを知ることで勝つことへの焦燥感を感じ押しすぎてしまったり。
若い時、あるいは無知な時、自分が最強だと疑わない時は自分のベストを尽くしやすい。でもそうじゃないと気付いてしまったら当然感情は揺れ動きます。
「確率は低いがここで8000打ったこともあるし慎重になるなら避けるべきか?」
「なかなか勝てないが今日は2次予選も勝てそう。丁寧に行きたい。」
可能性の低い事象を過剰にケアしたり丁寧に打つことを過剰に意識したり。こういうことを考えている時点で自分らしくベストを尽くすのはすでに難しい。経験を積めば強くはなりますが代わりにどんどんと「若さ」というか「純真さ」のようなものは徐々に失われていく。
純真さのようなものの喪失に対して経験の獲得、あるいは獲得した経験を雀力に変換するスピードが追いつかなければ総合力はどんどん落ちていきます。知識の増加や体験による結果予測は出来るようになっても結果が出ないのはこういうパターンかもしれません。
言いたいのは「何もしなければ麻雀は衰えていく」ということです。
何かしらの獲得が無ければ上達はないのは当然なのですが何もしなければ上達も衰えもしないということはないんです。何もしなければ普通に衰えます。
単純に打たなければ知識は薄れ感覚はブレます。何も考えずに無為に打ち続けてもたまたま連続した結果、あるいは結果に大きな影響を与える単一の事象に心が囚われ客観的な判断を妨害されます。
失うんですよ。だから結果を残し続けるためにはその喪失されるもの以上に成長しつづけなければならない。
大会等に出て自分の麻雀に幅が出来ればいいな、とは思ってるんですが経験を積むだけではなくそれを雀力に変換する作業を怠らないようにしないとなと思っています。
自分のスタイル、とかそういう系の言葉に囚われて「取らない選択肢」を増やしてしまわないようにしたいですね。
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