ちょっと前にでた大会の予選での話。
全4回戦の3回戦の南2くらいまで結構ポイントを持ってる上にその半荘もトップでこれは予選通過したでしょ、と思って中盤にちょっと怪しい生牌の中を持ってきて怪しいけど中を切ったら18000放銃してラスったんですよね。まぁその時は「いや~www」って思ってたんですけどそのことについて少し。
・やりすぎ?放銃した時はメッチャ後悔して「やりすぎた、、、」とは思いました、まぁ1800打って後悔しない人はいないですねw
でも本当に?これ鳴いてない親のメンホンイッツー確定東中シャンポンに打ったんですけど序盤から決め打ちで固定しててホンイツにはさすがに見えない捨て牌。
となるとね。単純に中盤~終盤にかけての生牌の危険度、という話でしかないんですよね(明確にメンホンがいるという状況ではない)。じゃあさ、切ってよくない?
・一点のみを修正するのは非現実的例えばその中を切るというのはどういうことなのか?というのを細かく考えると
「ロンされると〇点くらいで放銃率が〇%くらい。自分の和了りは%で点で和了ると何点」みたいな感じなんですよね。
例えばその中の危険指数が総合して50/100だったとしましょう。そうなると今後似たような場面で危険指数が50を超えるものはいかない、ということになります。
・成功も失敗もある結局そういうことなんですよね。麻雀なので成功も失敗もあるんですよ。たまたま失敗の目を引いたからといってもどうしようもない。切って和了っていることも多々あるわけですしね。
ここで反省して今後はこのような中は止めようというのであれば自分が切る牌の危険度すべてを引き下げるということになります。
「南2でトップ目だった場合に聴牌で切っていい危険指数を50から40に下げる」と言った感じですね。
この局面この場面で中を切ったことを反省して修正するというのはそういうことです。他の似たような場面で押して和了ったやつはいいけどこの中だけで反省して止める、というような進化はちょっと都合がよすぎますね。
・本当の反省とはじゃあ18000打ったけど自分で納得してればいいの?いう話になってきます。個人的には納得していれば別にいいと思います。麻雀は打つことも和了ることもあるゲームですしこっちが致命傷を避けたい時は相手が致命傷を与えたい時なので相手が成功することも当然あります。
ただ今回のケースで言えば中の危険度の認識が本当に正しかったのかは確認しておいた方がいいかなと思います。。反省すべきポイントはここです。
「本当に中の危険指数は低かったのか?」ということです。そこに新たな発見が無ければ今まで通り切るしかありません。
・次に生かすためには危険なのはシンプルに「やりすぎた」とだけ反省することです。
その場面だけを見て修正しようとするのは難しく再現性も低く口だけになってしまいがちですし身に染みて反省する場合は自分の打ち方全体のバランスを変える大掛かりな作業になってしまいます。
後者は悪いことではないのですが大掛かりなので大きめの不幸があるたびにこれをやっていては調整が間に合わないと思います。
全体のバランスを変えるのはゆっくりと。ただそのバランスを整えるための各牌の危険度がどれくらいなのかの確認はしっかりと、と言った感じ。
つまりあの中は悪くない!!!!!俺も張ってたし!!!!
こちらにおまけで追記を書いております。よろしくお願いします。
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